奈良観光の未来をデザインする
奈良の新しい見せ方・演出を模索する
遠藤英樹 奈良県立大学

観光地の「ベタ」と「ネタ」
  私が専門とする社会学には、宮台真司氏や北田暁大氏をはじめ、「ベタ」と「ネタ」という言葉を用いながら社会現象を考察している研究者がいる。その言葉をつかって言えば、観光地も、「ベタ」な観光地と、「ネタ」に昇華された観光地の二つに分類することができるのではないか。
 「ベタ」な観光地とは、たとえどんなに良い素材をもっていても、ほとんど何の工夫をすることもなく、情熱のあるメディア発信をするのでもなく、ただ素材の良さだけに頼りきっている観光地のことである。これに対して「ネタ」に昇華された観光地とは、観光地が有する素材をそのままにすることなく、様々な見せ方や演出を工夫し、メディアへも積極的にアピールしイメージづくりをしながら、観光客を存分に楽しませるよう創り込まれた観光地のことを言う。「ベタ」な観光地は素材にたよりきって工夫もないがゆえに、観光地としては次第に衰退していく。逆に「ネタ」に昇華された観光地においては、観光客を楽しませる見せ方や演出をつねに工夫し続けているがゆえに、観光地として素晴らしい場所になっていく。
 これからの奈良は、どちらの観光地となっていくのであろうか。奈良には、「大仏」もある。かわいい「鹿」もいる。雄大な「自然」もある。たくさんの「仏像」がおさめられた「神社・仏閣」も他の都道府県と比べて格段に多い。
 それで充分ではないか。それで、これまでも多くの観光客を呼び込んでこられたのだから、これ以上、おかしな工夫をこらすことなど必要ない。こういう考え方を「大仏商法」と言う。これからの奈良がこうした考え方のもとで進んでいってしまうなら、奈良はまさに「ベタ」な観光地になってしまうことは間違いない。
 そうではなく、「大仏」「鹿」「自然」「仏像」「神社・仏閣」等々をどのように演出して、観光客に「見せる」のか。そうした工夫をおこたらず、いにしえから受け継いだ素晴らしい素材を、つねに新しいイメージのもとで「ネタ」に昇華し続けることができれば、平城遷都1300年祭以降も、奈良という場所に多くの観光客をひきよせることができるだろう。

〈大和路〉という風景
 これまで奈良が、そうした努力を怠ってきたかというと、まったくそうではない。かつての奈良は、実は、そうした努力をきちんと積み重ねてきたのである。たとえば、私たちが現在当たり前に「素材」として昔からあったのだと思っている〈大和路〉という風景も、こうした努力のもとで創造されてきた「ネタ」であったはずだ。
 このことを考えるうえで、奈良の風景をずっと撮り続けてきた写真家・入江泰吉氏の業績はやはり見過ごすことができないだろう。入江氏は、“滅びの美”としての〈大和路〉の風景を発見、創造した人物の一人である。それは現在も、観光客たちをはじめ多くの人びとが奈良に視線を向けるときの基本的な枠組となっている。
 入江氏は明治38年11月5日、奈良市片原町に七男一女の六男として生まれている。兄たちの影響で画家を志すが断念し、絵画ではなく写真によって美的な世界観を表現しようと、写真家となる道を選択する。大正11年に大阪のカメラ卸店に就職し、その後独立、昭和6年に大阪鰻谷仲之町にカメラ店「光芸社」を開店する。
 入江氏が奈良の風景にレンズを向けるようになったのは、昭和20年大阪大空襲で奈良に引き揚げてきたとき以来である。とくに亀井勝一郎氏の『大和古寺風物詩』をむさぼるように読んだことをきっかけに、彼の奈良の風景をとらえる視線は大きな変化を遂げた。彼の述懐によれば、奈良は入江の傷ついた心を癒すかのように幼いときの風景のまま時間をとめて彼を出迎えてくれたとされる。時がとまったままの“滅びの美”として奈良をとらえ、そこに魂の再生、日本という国土の再生を二重写しにしていく、奈良のこのような風景のとらえ方は、日本浪曼派である亀井勝一郎氏の『大和古寺風物詩』と軌を一にしたものである。ここにおいて入江氏は、奈良の風景に対する認識を一変させ、〈大和路〉という風景を発見していったのである。
 その意味で、〈大和路〉という風景は、奈良に存在していた素材を、魂の再生と日本という国土の再生が二重写しとなる“滅びの美”として見直し、新たに創造したものなのだと言える。さきの「ベタ」と「ネタ」の言葉を用いて言えば、横たわる素材をそのままにすることなく、新たなイメージのもとで〈大和路〉という風景としてとらえなおし、まさに「ネタ」へと昇華していったのである。

ポスト平城遷都1300年祭の新たな奈良へ
 このように考えてくれば、「ネタ」に昇華された観光地というのは、昔からの素材を新たな見せ方や演出のもとで創りあげる営為を無限に行ない続けている場所にほかならない。
 ただ、どんなに工夫された見せ方や演出も、何年、何十年も同じように繰り返されてしまうと、次第に「当たり前」に思え、マンネリ化し、「ベタ」化してしまう。奈良はそういう状況になりつつあるのではないか。したがって、いま奈良にもとめられているのは、奈良の新しい見せ方・演出を模索すること、これである。これが平城遷都1300年祭以降にもとめられているように思う。
 そのためのヒントは、実は、奈良のいたるところに散りばめられているはずだ。