鵜の目と鷹の目(9)
良心が審判のスポーツ
ジャーナリスト    
   橋 本 裕 之
 春はうららかな陽光のもと、冬籠もりしていたスポーツが一気に花盛りになる。 今やスポーツは、現代人にとって欠かせない精神の潤滑油となっている。
 数あるスポーツの中でもゴルフほど、人間性と重ね合わせて語られるスポーツ はないだろう。そこに関わる人間のマナーが問われ、プレーヤーの性格や日常生 活にまで注目が集まる。
 かつてはジャック・ニクラウスの紳士ぶりが賞讃され、石川遼君の見事な応対 ぶりやマナーの良さに喝采が集まるのも、ゴルフならではだろう。
 かと思えば、これまでプライベート面でも完璧な評価だったタイガー・ウッズ に、多くの不倫と性依存症といった意外な側面があったことに世界中が驚き、残 念がった。この事件も、それだけゴルフというスポーツの「潔癖性」を表してい るとも言えるだろう。

自分との闘い誘惑も多い
 考えてみれば、ゴルフは不思議なスポーツだ。まずボールが極端に小さい。目 標(ホール)も小さい。対して最大飛距離が長い(アマチュアでも飛ばし屋は 270b以上飛ばす)それだけ繊細さと大胆さが求められるということになる。
 そして何より、ゴルフには審判がいない。セルフジャジメントと言い、唯一審 判のいない競技である。 公式競技の成績(スコア)は、同伴競技者(マーカー)がお互いに相手のスコ アを付け合い、プレー終了後に本人が付けたものと確認して、マーカーがサイン し、競技員に提出する仕組みである。プレー中も全て自主申告が建前で「プレー ヤーの良心が審判」という珍しいスポーツである。
 相手よりも自分自身に勝たなければならない要素が強く、おのずとプレーヤー の人間性というものが問われることになる。
 反面では、さまざまな誘惑もつきまとう。
 つい最近も、優勝を決めたと思った女子プロがスコア誤りを指摘され2位とな った事件があったが、これまでにプロがスコアを故意に改ざんする事件も何度か 起こっている。 少し前には、将来を嘱望された若手プロが、同伴競技者の確認サインを受けた スコアカードを持ってトイレに直行、消しゴムを使って三ホール分を修正して提 出。同伴競技者の指摘で発覚するという前代未聞の事件も起こっている。
 プロの世界での悪質なルール違反は制裁金や出場停止、あるいは永久追放とい った厳罰を受けるが、気楽なアマチュアのゴルフでもルール違反のツケは意外に 重いものだ。
 誰しもミスを重ねて大叩きした時など、スコアを一つでも減らせればいいのに と思ったことのない人は恐らくいないだろう。意図的でなくても、打数を少なく カウントしてしまい、数えモレを指摘されたということも一度や二度はあるはず だ。多く数えすぎる間違いはあまりないらしいから、これもどこかで誘惑に負け ているのかもしれない。
 人に負けたくないというプライドか、見栄か、大の大人がつまらないものにこ だわるものである。

天がご存じ地も承知
 「仲間うちのゴルフなら一打くらい誤魔化しても」と考えたら、とんでもない間 違いだ。プロと違って制裁金を科されたりなどしないが、アマはアマなりの制裁が待っている。
 まず、本人は上手に誤魔化したつもりでも、天がご存じ、地も承知。同伴競技 者には「あいつ誤魔化したな」とすぐに分かる。そして誤魔化す誘惑に負けた人 はクセになるから、「彼はスコアを誤魔化す」というのが知れ渡るのに、そう時 間はかからない。かくして人間的評価は地に墜ちてしまう。たかがゴルフ、され どゴルフである。
 ある著名な会社の老会長さんは、経営手腕は評価されているものの、ゴルフの 腕はさほどではなく、それはそれでご愛嬌なのだが、なぜかいつもスコアの誤魔 化しをされる。業界ではもう知らない人はいない。
 ひどい人になると、あるワンマン二世のように、スコアの誤魔化しだけでなく 勝手にボールを移動させたりミスショットの打ち直しをして、それで社内や取引 先とのコンペで優勝してはご満悦、という噴飯もののケースもある。
 すでに手ひどい社会的な評価(制裁)を受けているのだが、まだ本人は気づい ていないという、笑うに笑えないお粗末な話だ。
 「ゴルフは紳士のスポーツ」と古くから言われるのは、上流階級のスポーツな どといった意味ではもちろんない。「自己の良心を審判とするスポーツ」という 意味である。
 くれぐれも、ゴルフスコアごときに大切な良心を売り渡してはならない。