「再審、無罪を考える」
―再審事件とは―
 再審(再審理)とは、刑事裁判において、一旦、確定した判決を宙に浮かせて、刑事裁判をやり直すことを指す。耳目に新しいところでは、「袴田事件」と称される事件の被告である袴田 巌さんが1回目の再審請求から40年余を経て再審の開始が決定され、再審の結果、無罪となった。すなわち、再審の請求を受け付けるか否かを審理する裁判に40年という歳月を要したわけである。日弁連(日本弁護士連合会)が支援している再審事件は、再審無罪となった袴田事件のほかにも、まだ、司法が10件の再審請求を認めるかどうかで争われている。
―再審無罪の功罪―
 再審開始の決定を受け、再審理が行われ、結果、被告であり元犯罪者として処遇されてきた者が無罪となる。
 被告側にとっては、欣喜雀躍以外の何もでもないであろう。しかし、極刑を宣告したのは、警察・検察の捜査を経て、それら捜査当局が収集した証拠に基づいて、裁判官が刑を言い渡したのである。刑事事件も民事事件と同様、三審 制に基づく。であるから、そこにかかわった警察・検察・裁判所の公務員の数は計り知れず、彼らが捜査に要した時間は膨大である。
 そのうえ、再審が決定されたことによって、更に関係する多くの者による再捜査が行われて、最終的に一度確定した判決が覆される。
 死刑が無罪となる。これは、法律がそうさせたのではない。
 警察・検察の証拠を信じて死刑へと導いた裁判官、しかし、前例を引くなら40年の時を経て、新しい証拠がもたらされる。なぜ、事件がまだ冷めやらぬ時にその証拠に辿り着くことができなかったのか。裁判官は、犯罪と証拠との間の矛盾や齟齬に思考をめぐらすことができなかったのか。死刑が無罪となるのである。その差は天と地ほどである。なおかつ、元死刑囚には、再審で無罪を勝ち取ることによって、逮捕、拘留、刑の執行などによって受けた損害の賠償を請求することが可能になる、と同時に国家賠償請求も可能である。前出事件では、袴田さんへの国の賠償額は、過去最高の2億1700万円と管轄の静岡地裁は判示した。
 これは、警察・検察・裁判所という公権力の行使に当たる公務員が職務上の過失によって国に損害を与えたという結果を招いたものである。しかし、だからと言って、それら事件に関与して公権力の行使に当たった警察・検察・裁判所の担当公務員が国から、その損害賠償を求められたということは、寡聞にして知らない。事程左様に、冤罪を作り上げた側は、何の責任も問われることがないのである。法治国家における怪と言わなければならない。
―この期に及んで―
 この期に及んで、それでは、事件当時の被害者遺族は、犯人が捕まって裁判の結果、死刑判決が下ったことをせめてもの救いと、事件の無念を諦めていたところ、死刑判決を受けた主は、犯人ではなかったと今更ながらに言われても、「ああそうでしたか。」で済ませるものではない。未知の新犯人を知りたい、それが被害者遺族の真情であろう。かと言って、警察や検察が改めてその事件の捜査をやり直すわけでもない。40年も前(袴田事件の端緒の時)の殺人事件の公訴時効は25年であった。再審事件では、おおよそ、どの事件も時効が完成している。
 幸い、平成22年4月27日に改正施行された刑法では、刑法が死刑を規定する事件の公訴時効が廃止された。従って、捜査当局は、死刑判決を求めようとする事件については、公訴時効の壁を気にせず冤罪を作ることを厳に避けるべく入念な捜査を望むとともに、裁判当局も、捜査当局の捜査資料のより精緻な分析と真の犯人への到達を目指してもらいたいと望むものである。
―最後に―
 最後に、冤罪事件が、なぜ、起きるのか?について、見ておきたい。
 古くから検察の改革については、関係者間で論議されてきた。
 しかし、「プレサンス国家賠償訴訟事件」という目新しい事件がある。事件の内容には紙幅の関係で、ここでは触れない。大阪地検特捜部がこの事件の捜査の過程で、担当検事の一人が被告に対して、机をたたきながら「検察をなめんなよ。命かけてるんだ俺たちは」、「会社の評判を貶めた大罪人、損害賠償できるか?10億や20億では済まないぞ」、etc.と容疑者を威圧して取り調べる過程が法廷で明らかになった。
 本件刑事被告人は、無罪確定後、違法捜査を原因として、国に損害賠償を求めた。その判決文中、裁判官は、「検事の意に沿う供述を無理強いしている。著しく不適切である。」と断じた。そのうえで、上記検事は、特別公務員暴行陵虐罪(刑法犯)の疑いで、刑事裁判にかける決定が下された。検事が刑事裁判にかけられることは、現行刑事法の下では初めてのことである。
―総括―
 こうしてみてくると、袴田事件のみならず、既に、検察当局は、平成19年の氷見事件・志布志事件を端緒として、続く平成22年の足利事件・厚労相元局長無罪事件以来、強引かつ顕牽強付会の捜査結果を反省し、検察改革を掲げて推進してきた。しかし、大阪地裁は、上記「プ国賠訴訟」事件を受けて、検察の「希薄な問題意識」に言及している。
 小稿が、冒頭に指摘しておいたように、検事・判事は、誤認・誤判があっても、その結果、人権を踏みにじっていても、検事・判事ら本人は何ら責任を追及されない現行制度の原点に立ち返って、この問題を考えなければならない。