(文中敬称略)

  議長選 地方議会の議長の任期は、「議員の任期による。」と法に定めがあるから、現山本議長は、昨年の就任から任期が満了するときまで、4年間、議長であり続けられるわけである。しかし、県都の議長となれば、就任を希望する議員も多く、何時の頃からか就任1年後の議会で辞表を出す慣行が出来上がった。法には、辞任を規制する定めがないことから、この、いわゆる紳士協定が常態化したのである。横へそれるが、隣の大和郡山市議会では、議会選出の監査委員(やはり、任期は、議員の任期4年である。)が、この紳士協定に従わず、結局、懲罰動議に付された事件が数年前にあったが、この事件でもわかるように、「任期1年で辞表を出す。」という紳士協定は、法律の上を行く厳しいものであり、協定を守れない者は、紳士ではないということになる。さて、奈良市議会の6月23日に閉会した「6月定例会」では、この紳士協定に基づき、山本議長は、一身上の都合により、副議長に辞表を提出した。そして、議長選挙に突入することになった。その候補と目される議員は、議長経験者である「山本、矢追=いずれも、政翔会」、そして、副議長経験者の「森田、松田=いずれも、政翔会」、「山口=民主党」、「池田=政和会」の6名であり、圧倒的に「政翔会」が有利な状況であった。その中で、早くから「松田」が議長選への意欲を見せていた。そして、議長選を数日前にした地元紙は、議長選について、これら6名の候補者と目される者のうちの4名について、それぞれが持つ公知の汚点を取上げて議長として「相応しくない。」旨を報じた。しかし、「山本」については、何も触れなかった。さて、実際に議長選に水面下で名乗りを上げていたのは、先述の「松田」そして、「池田」であったが、「池田」は、いち早く翻意した。「松田」については、他会派から同調を得られる見込みは全くなく、「矢追」については、昨年と同様、政翔会の盟友「公明党」が強く反対し、勝てる見込みはなかったし、「森田」については、議長選への意欲がなかった。現在の奈良市議会では、議長は、最大会派から出すことが慣行になっており、余程の優れ者が出てこない限り、他会派から議長が擁立されることはない。そうすると、奇しくも地元紙が「公知の汚点」を報じなかった「山本」が公明党や、もう一派の保守系無所属会派から支持が得られる唯一の候補者として絞り込まれた。こうして、意地に掛けても独自候補者を立てたい市長与党会派「民主党」から、「山口幹事長」、そして、政策協定をして他会派と迎合してはならない旨申し渡されている「共産党」から「西本幹事長」、の三名で争われ、「山本」が政翔会8名、公明党7名、政和会6名、無所属5名の支持を得て26票を獲得し、4度目の議長選を勝利した。さすがに、あのホテル用地跡の産廃問題への対応を全議員から一任された山本氏といおうか。

 副議長選 副議長候補は、山本議長再選に協力した公明党か、もしくは政和会から擁立するのが筋道であるが、公明党にその意欲はなかった。その結果、必然的に政和会から副議長候補を擁立することになる。さて、その候補者であるが、政翔会には、副議長経験者の「松田」と、政和会には同期で未だ副議長の椅子が回ってこない腐心の「上原」がいる。しかし、「上原」では、政翔会が納得しない。それを見越した政和会の「池田」は、「中西」を強く推挙した。こうなると「上原」は、泣きの涙であるが、やむなく同調した。こうして、議長と同じく、26票を獲得して、中西副議長が誕生した。

 議会選出監査委員選任  地方議会の三役といえば、議長、副議長に次いで監査委員が、それにあたる。議会選出の監査委員は、議長が市長に二名を推薦し、市長が議会にその同意を求めるという手順で進められる。さて、最終日23日、副議長選も済んで、議員諸侯、十分な根回しをしての監査委員の議案であるから、もう、閉会も近いことだろうと思っていた。議会選出監査委員として、議長から市長に推薦してあったのは、「上原」よりも期が古いにも関わらず、副議長はもとより、これと言った役職にありつけていない無所属の「松石」と公明党の「高杉」であった。待てど暮らせど再開のベルは鳴らない。聞けば、政和会が監査委員で揉めているという。「松石」と「高杉」を推薦することについては、山本議長、中西副議長、三浦議会運営委員長らによって協議し、決定されたものであるが、中西副議長が、わが会派政和会にその報告をしていなかったのである。(突然の副議長職拝命、そんなところまで気が付くか。)。これが、政和会が内部紛争する原因となった。それでなくても、今年も副議長職にあり付けず、憂心の「上原」が幹事長である。「中西」を副議長に強く推挙した「池田」は、ここで、決断した。「この場をこれ以上もめさせると「中西」の恥をさらすことになり、ひいては、「中西」を推挙した自分の恥にもなる。ここは、ひたすら平身低頭詫びるよりほかないが、明日は、「中西」と二人して政和会と袂を分かとう。」と。こうして、政和会は、2名を失って4名の会派となり、無所属議員が7名となった。もともと、政和会は、保守系議員で政翔会に参画した残りの6名が野合した会派であり、内部では、「池田」、「中西」組、合併二村選出の二議員組、そして、単独の「上原」と「土田」が会派内派閥とも言うべき状態にあったから、二名の会派離脱は、いずれ訪れる出来事であったものということができる。こうして、県都奈良市の6月議会は終わったのである。